(有發表之時、地、註解等資訊)
克雷洛夫寓言全集 The Fable of Ivan A. Krylov,張學曾譯,台北:志文,1999
(有插圖,惜印刷不佳) "全部改寫成散文,原文用典如 (狗的友誼)篇,就被拿掉)。
Ivan Andreyevich Krylov is Russia's best-known fabulist and probably the most epigrammatic of all Russian authors. Formerly a dramatist and journalist, he only discovered his true genre at the age of 40. Wikipedia
Born: February 13, 1769, Moscow, Russia
Died: November 21, 1844, Saint Petersburg, Russia
中文譯本[編輯]
- 《克雷洛夫寓言詩全集》,裴家勤譯,中國第一個詩體克雷洛夫譯本7805679975
- 《克雷洛夫寓言》 吳岩譯 ISBN 7534223334
- 《克雷洛夫寓言》 辛未艾 ISBN 7532731642
- 《克雷洛夫寓言全集》(名著名譯插圖本)屈洪、岳岩 譯 ISBN 978-7-02-003996-8 ,人民文學出版社
寓話[編集]
全203編のクルィロフ寓話は[注釈 5]、「烏と狐」「二羽の鳩」「ライオンと狐」のようにイソップやラ・フォンテーヌから、また、「隠者と熊」「潜水夫」のようにインド寓話から題材をかりたものの他は、大半が創作である。1788年にクルィロフが訳したラ・フォンテーヌ3編を読んだ、当時高名な寓話作家ドミートリエフのすすめが、寓話執筆のきっかけとなったらしい。ラ・フォンテーヌ以降の芸術作品としての寓話を発展させ、冬の詳しい描写を加えたクルィロフの物語はロシアの風土に密着し、登場する動物たちさえロシア人の風貌を備えているといわれる。
劇作や諷刺雑誌でエカチェリーナ2世の不興を買い、8年間も地方生活を余儀なくされた結果、クルィロフは反体制の思想を「イソップの言葉」で表現し、つまり真実を屈折させ自分の感情を隠す方法を編み出した、と考えられる。1817年からのポーランド語訳を初めとして、英・仏・独・伊の諸国語に翻訳された。国内でもその詩の文体はプーシキンに、ユーモアのある描写はゴーゴリに、鋭い諷刺はシチェドリンに強い影響を与えた。その他、諺のように作品に『寓話』を引用した例は、ドストエフスキーなど枚挙にいとまがない。
1806
- 樫と葦
- 聟選びのやかましい娘
- 老人と三人の若者
1808
- こおろぎと蟻
- 烏と狐
- 蛙と雄牛
- 猟場のライオン
- 狼と子羊
- 百姓と死神
- 狐と葡萄
- 蠅と旅行者
- 隠者と熊
1809
- おんどりと真珠の粒
- ライオンと蚊
- 蛙とジュピター
- ライオンと人間
- 獣の世界の疫病
- 二羽の鳩
1811
- 子烏
- 痛風と蜘蛛
- 大金持と貧しい靴屋
1816
- 狼と鶴
- 女主人と二人の召使い
1819
- 羊飼いと海
- 欲深とめんどり
1825
- 年老いたライオン
- 釜と土鍋
- 烏
1834
- ライオンと鼠[注釈 6]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 父は領地なしの没落貴族で、兵卒から昇進した尉官であり、退役時は大尉すなわち下級士官であった。『寓話』(下)吉原武安訳、日本評論社、1948年、p308、『寓話』峯俊夫訳、国文社、1988年、p307
- ^ いろいろな精霊と彼らの主人である魔王との交信の形式で、フランス文化かぶれの人間、強欲商人、無能な地主貴族らを激しく諷刺した。『寓話』(下)吉原武安訳、日本評論社、1948年、p310
- ^ 1811年に帝国公衆図書館長に、1817年には芸術アカデミー総裁に就任した。『寓話』峯俊夫訳、国文社、1988年、p309
- ^ 1843年12月、著者編集による寓話集最終版を刊行。1844年11月の没後葬式において、著者の遺志により約1000部の寓話集を参会者に配布した。『寓話』峯俊夫訳、国文社、1988年、p311
- ^ 存命中から「クルィロフお爺さんの話」として子どもたちに親しまれた。『寓話』(下)吉原武安訳、日本評論社、1948年、p308
- ^ 以上、話の題名は、峯俊夫氏の訳語にならうもの。『寓話』峯俊夫訳、国文社、1988年
出典[編集]
参考[編集]
- イヴァン・クルィロフ『寓話』(上)(下)吉原武安訳、日本評論社、1948年
- レフ・ヴィゴツキー『寓話・小説・ドラマ―その心理学』峯俊夫訳、国文社、1982年
- イヴァン・クルィロフ『寓話』峯俊夫訳、国文社、1988年
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