梅棹忠夫(1920年6月13日-2010年7月3日)是一名日本生態學家,民族學家。國立民族學博物館名譽教授,綜合研究大學學院名譽教授,京都大學名譽教授。
梅棹忠夫著作目録 1934-2008』(非売品、603ページ、2009年7月)
文明の生態史観 (中公文庫)
1998/1/18著作[編集]
- 1956年 『モゴール族探検記』(岩波新書)
- 1957年 「文明の生態史観序説」(『中央公論』に掲載)
- 1960年 『日本探検』(中央公論社→ 講談社学術文庫 ISBN 4-06-292254-1)
- 1962年 『日本人の知恵』(共著)(中央公論社 のち中公文庫)
- 1964年 『東南アジア紀行』(中央公論社、のち中公文庫 全2巻)
- 1965年 『サバンナの記録』(朝日新聞社 のち朝日選書 ISBN 4-02-259154-4)
- 1967年 『文明の生態史観』(中央公論社→ 中公文庫 ISBN 4-12-203037-4 ほか)
- 『人間にとって科学とはなにか』 (湯川秀樹共著 中公新書→ 中公クラシックス ISBN 4-12-160130-0)
- 1969年 『知的生産の技術』(岩波新書 ISBN 4-00-415093-0)
- 1970年 『現代の冒険1 砂漠と密林を越えて』(責任編集 文藝春秋)
- 1974年 『地球時代の日本人』(講演集 中央公論社 のち中公文庫)
- 1975年 『民族学博物館』 (講談社)
- 1976年 『狩猟と遊牧の世界 自然社会の進化』(講談社学術文庫 ISBN 4-06-158024-8)
- 『山岳 森林 生態学 今西錦司博士古稀記念論文集』(共著、中央公論社)
- 『歴史と文明の探求』(共著、2冊組、中央公論社)
- 1977年 『生態学入門』(吉良竜夫と共著、講談社学術文庫)
- 1978年 『民博誕生 館長対談』 (中公新書)
- 『地球時代の人類学』 (対談集 中央公論社、のち中公文庫 全2巻)
- 1980年 『人類学周遊』(筑摩書房 ISBN 4-48-085159-3)
- 『博物館の世界』 館長対談 中公新書
- 1981年 『わたしの生きがい論 人生に目的があるか』(講談社、のち講談社文庫)
- 『博物館と美術館 館長対談』 (中公新書)
- 『美意識と神さま』(中央公論社→ 中公文庫 ISBN 4-12-001061-9)
- 1983年 『博物館と情報 館長対談』 (中公新書)
- 1985年 『行動する国際人たち』 対談集 講談社
- 『文化の秘境をさぐる』 対談集 講談社
- 1986年 『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』(NHKブックス ISBN 4-14-001500-4)
- 1987年 『日本人のこころ-文化未来学への試み』(朝日選書 ISBN 4-02-259115-3)
- 『梅棹忠夫の京都案内』(角川選書→ 角川ソフィア文庫 ISBN 4-04-376401-4)
- 『博物館長の十年 国立民族学博物館の記録』 平凡社
- 『メディアとしての博物館』 平凡社
- 『京都の精神』(角川選書→ 角川ソフィア文庫 ISBN 4-04-376402-2)
- 『日本三都論-東京・大阪・京都』(角川選書 ISBN 4-04-703182-8)
- 『メディアとしての博物館』(平凡社 ISBN 4-58-273805-2)
- 『あすの日本語のために』(くもん選書 ISBN 4-87-576395-6)
- 『中国の少数民族を語る』 対談集 筑摩書房
- 1988年 『日本語と日本文明』(くもん選書 ISBN 4-87576-411-1)
- 『情報の文明学』(中公叢書→ 中公文庫 ISBN 4-12-203398-5)
- 『日本語と事務革命』(くもん選書→ 講談社学術文庫 ISBN 4-06-292338-6)
- 『女と文明』(中公叢書 ISBN 4-12-001745-1)
- 1989年 『情報論ノート』(中公叢書 ISBN 4-12-001778-8)
- 『情報の家政学』(ドメス出版→ 中公文庫 ISBN 4-12-203668-2)
- 『研究経営論』(岩波書店 ISBN 4-00-000611-8)
- 『二十一世紀の人類像をさぐる』(講談社 ISBN 4-06-204411-0)
- 『夜はまだあけぬか』(講談社→ 講談社文庫 ISBN 4-06-185857-2)
- 『梅棹忠夫著作集』(全22巻、中央公論社→ 1993年に完結)
- 1990年 『情報管理論』(岩波書店 ISBN 4-00-002675-5)
- 1991年 『二十一世紀の人類像-民族問題を考える』(講談社学術文庫 ISBN 4-06-158986-5)
- 『回想のモンゴル』(中公文庫・改版 ISBN 4-12-205523-7)
- 1992年 『実践・世界言語紀行』(岩波新書 ISBN 4-00-430205-6)
- 『裏返しの自伝』(講談社→ 中公文庫 ISBN 4-12-205475-3)
- 1997年 『行為と妄想-私の履歴書』(日本経済新聞社→ 中公文庫 ISBN 4-12-204006-X)
- 『世界史とわたし-文明を旅する』(NHKブックス ISBN 4-14-001800-3)
- 2000年 『近代世界における日本文明 - 比較文明学序説』(中央公論新社 ISBN 4-12-003027-X)
- 2001年 『文明の生態史観はいま』(編著)(中公叢書 ISBN 4-12-003119-5)
- 2004年 『日本語の将来 -ローマ字表記で国際化を』(編著)(NHKブックス ISBN 4-14-091001-1)
- 2005年 『日本文明77の鍵』(編著)(文春新書 ISBN 4-16-660435-X)
- 2007年9月 読売新聞「時代の証言者」連載
- 2008年10月 『地球時代の文明学 - シリーズ 文明学の挑戦』(監修)(京都通信社 ISBN 4-90-347330-9)
- 2009年7月『山をたのしむ』(山と溪谷社→ ヤマケイ文庫 ISBN 4-635-04784-9)
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梅棹忠夫和 山本紀夫合編《山的世界》賴惠鈴譯 台北:臺灣商務,2007
陳寬仁
2007.3.11偶然 翻閱舊書,日本梅棹忠夫著「知識誕生的奧秘」的一段文字,可謂深得我心。 『飽覽群籍,縱橫論述,這似乎是很體面的事,但並非獲得知識之良策。我們不是要「為了說什麼」而讀書,而乃是「盡量不說什麼」而讀書。假使某一本書已經有某種論述,那麼何必像鸚鵡般學人家叫一遍?讀書是為了印證自己的想法是否嶄新而已,因此引用其他書籍的機會並不多,大可不必因為引用太少而覺得慚愧。毋寧說引用太多才是羞恥,因為老是在意別人的言論,正好說明自己缺乏創造性的思考。... ... ... ...現在教育制度下的學校,很難說是從事學問的良好場所。老師們實在教得太多了,過度熱心的老師恨不得把一切都教給學生,造成學生一味只知道從老師那裡得到教益;至於自已應該如何主動去學習卻茫然無知。簡而言之,知識教得太多,而獲得知識的方法卻不教給學生。提到「為學方法」有人會聯想起一大堆「方法論」,其實不必探討到高級艱深的問題,獲得知識的最基本方法,學校都沒有教。例如:如何觀察?如何記錄?如何記筆記?如何循序思考?等等。』
梅棹忠夫の発想、のぞき見る ウメサオタダオ展
資料を収めるキャビネットをイメージした展示台に、「こざね」や「京大型カード」など知的生産の「七つ道具」が並ぶ |
もの書きのあたまを開いて、中をのぞいた思いに襲われる展覧会が開かれている。一昨年に亡くなった民族学者、梅棹忠夫の多彩な業績を紹介する「ウメサオ タダオ展―未来を探検する知の道具―」だ。大阪の国立民族学博物館(梅棹が初代館長)で昨春に話題になった展覧会が、内容を一部変えて東京・青海の日本科 学未来館に巡回した。
どうやってものを書くかを具体的にあかした梅棹の『知的生産の技術』(岩波新書)は、コンピューター時代のいまも増刷を重ね、88刷を数える。そこで紹 介されて流行した京大型カードや「こざね」(小さなメモ紙片)、さらに野外調査のノートやスケッチが展示されているのだ。
梅棹が残した本物はケースの中だが、見せ方に工夫を凝らす民博の展覧会らしく、複製を手に取って読むことができる。梅棹は、後の自分は他人だからと、き れいな字でメモをとった。おかげで私たちもカード類から梅棹の発想を体感できる。カードやこざねのミソは、集めた資料を組み替えて新たな論を立てること。 まだ組み替えが続いているかのようなライブ感があるのは、懐かしさに傾きがちな追悼展では珍しい。
比較文明論や情報産業論など、梅棹の知的生産の成果を簡潔に知ることもできる。2月20日まで(火曜休館)。大人千円。電話03・3570・9151。(編集委員・村山正司)
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どうやってものを書くかを具体的にあかした梅棹の『知的生産の技術』(岩波新書)は、コンピューター時代のいまも増刷を重ね、88刷を数える。そこで紹 介されて流行した京大型カードや「こざね」(小さなメモ紙片)、さらに野外調査のノートやスケッチが展示されているのだ。
梅棹が残した本物はケースの中だが、見せ方に工夫を凝らす民博の展覧会らしく、複製を手に取って読むことができる。梅棹は、後の自分は他人だからと、き れいな字でメモをとった。おかげで私たちもカード類から梅棹の発想を体感できる。カードやこざねのミソは、集めた資料を組み替えて新たな論を立てること。 まだ組み替えが続いているかのようなライブ感があるのは、懐かしさに傾きがちな追悼展では珍しい。
比較文明論や情報産業論など、梅棹の知的生産の成果を簡潔に知ることもできる。2月20日まで(火曜休館)。大人千円。電話03・3570・9151。(編集委員・村山正司)
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作者:陳永峰(東海大學日本區域研究中心主任,京都大學法學博士)
一、梅棹忠夫的京都「探檢」
假使有一天日本這個國家不見了,京都人還是覺得京都會繼續存在。這是京都人對於這千年古都所抱持的自信。」但是,「萬一有一天日本被其他國家佔領了或是這個國家垮台了,唯有京都能置身事外,平安無事。而屆時做為一個獨立國家的京都,將使用哪一種語言來當做國語呢?毫無疑問,京都人絕不可能使用現代日本語。──梅棹忠夫《民族學家的京都導覽》,頁 176
在日本,京都熱來了又去,去了又來,從不斷絕。在台灣,京都熱則是方興未艾,熱潮勢將持續。不過,在「老京都」同時也是日本民族學的開創者梅棹忠夫的「探檢」之下,事實上,京都人一點都不像日本人。
換句話說,京都根本就不是日本。
京都人很愛講話,不分男女,這點是京都人的通病。你如果不理京都人,京都人可以滔滔不絕地講個沒完沒了。這在日本文化中是很罕見的特性。就整體情況來看,日本人由於尊崇武家文化傳統,並不讚賞能言善道的行為。唯有像京都這麼徹底漠視武家文化的地方,才有辦法發展出口齒伶俐的文化特徵。」──梅棹忠夫《民族學家的京都導覽》,頁 169
不管是外國人露絲・潘乃德所寫的《菊與刀》,還是日本人新渡戶稻造寫的《武士道》,幾乎所有「日本人論」的鉅著,全都強調日本文化及日本人特有的帶有澀味的全力求死的武家性格,但是,京都這個號稱日本文化中心地的城市,偏偏不理會這一套。後現代式的「活著就好」,才是這個城市亙古不變的規則。
從長遠的歷史裡,(京都人)早就知道了權勢的易變,因此不會把人非黑即白地分成善意與惡意;朋友與敵人,這也是京都人從歷史之中,學會的智慧。──梅棹忠夫《民族學家的京都導覽》,頁 157
梅棹忠夫(1920-2010)生於京都西陣的商人之家,從小學(京都市立正親尋常小學校)、舊制中學(京都府立京都中學校)、舊制高校(第三高等學校)到大學(京都帝國大學)都在京都度過。也就是說,如果由梅棹忠夫來寫一本京都導覽的話,沒有人會認為不夠資格。不過,這本書《民族學家的京都導覽》之所以成為名著,當然並不是因為梅棹忠夫是京都人,也不是因為他是一個民族學家,而是因為他是一個巨人,戰後日本最重要的「知的巨人」。
以《文明的生態史觀》(中央公論社,1967)一書奠定獨自學術地位的梅棹忠夫,雖然晚年雙眼失明,但是依然維持異於常人的知識生產力。單單在他生前整理收錄於「梅棹忠夫作品集」的著作就達到 23 卷。
在他的龐大的著作當中有幾個共通之處,其中最重要的,就是經常被提及的田野調查,或者是梅棹自己經常使用的術語:「探檢」。只是,梅棹忠夫所說的田野調查,並不是某已開發國家的某個人類學者,來到某開發中或未開地區的某個村落,不讀書,也不考慮世界的其他事物,單單一頭栽進「我的村子」的那種調查。
初期的梅棹忠夫,有一部著作叫作《福山誠之館》。這是 1959 年,發表在「日本探檢」系列的作品,同時也是梅棹忠夫眾多著作當中,非常令筆者鍾愛的一部。
梅棹忠夫在此書的一開頭便說:「什麼都不知道確實是一件好事。因為只有靠自己的腳走,用自己的眼看,才能讓自己的想法自由地發展。知識可以透過旅行得來。旅行的同時,讀書;讀書的同時,思考;思考的同時,旅行。我一直覺得這是最好的學習方法。」(新版,重收於《日本探檢》,講談社學術文庫,2014 年,頁 21。)
雖然,美國人類學者紀爾茲(Clifford Geertz,1926-2006)曾經在他的著作中說過,人類學者不是「研究村子」的人,而是「在村子裏研究」的人。但是,就何謂田野調查的說明而言,上述梅棹忠夫的定義明顯高明許多。就像梅棹所言,田野調查就是一個「場所」,一個用自己的腳走動,用自己的眼睛觀察/閱讀,用自己的腦袋思考,然後再用自己的眼睛進行觀察的「場所」。對梅棹忠夫而言,這樣的過程就叫作「探檢」。
所以田野調查到底是怎麼一回事呢?而梅棹的京都「探檢」又是怎樣進行的呢?在《民族學家的京都導覽》一書當中,完美地展現在讀者眼前,非常值得讀者自己用自己的眼睛和自己的腦袋去探索。
二、梅棹忠夫的「世界比較」
雖然,梅棹忠夫自己也說「京都人不太喜歡跟外地人介紹或談論關於京都的事。在京都人跟外來者之間,橫亙一道深不可測的鴻溝,把彼此隔成了兩邊。京都人當然不至於拒絕外地人來京都走動,可是我們總是冷眼旁觀的,京都人是京都人,外來客是外來客。」(《民族學家的京都導覽》,頁 5。)
但是,梅棹忠夫學術體系的另一個特徵就在於「世界比較」,同時,他想要比較什麼,自己非常清楚,因為透過「探檢」對於社會的事象非常具體地抓住實相進行思考,並且徹底地認為沒有透過比較,真相就不會出現。
也就是說,就如同日本不透過和世界其他地區的比較,不會知道日本的特異性一樣,梅棹忠夫認為如果不透過比較,京都人也不會知道自己跟其他日本人間存在那麼大的異質性。
梅棹忠夫也承認,這本《民族學家的京都導覽》的內容,「對京都人來講應該會覺得很能認同,幾乎都是常識,可是對於外地人來講恐怕就不是這麼一回事了。如果有什麼內容忤逆了外地讀者,就請當成我們京都人妄自尊大、無可救藥的表現,一笑置之吧!」(《民族學家的京都導覽》,頁 7。)
講這句話的「京都人」梅棹忠夫是不是也讓我們這些非京都人覺得「京都人所有的人際往來全都是外交」呢?外交可是國對國的哦!這句話寫在本書的哪裏,不告訴大家,就留待有心的讀者好好地「探檢」一番吧!
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